始まりの始まり

この1枚の写真から始まった。1986年6月魚津に新卒で着任した安保隆(18)が私に差し出したものだ。フライロッドに岩魚。本当に彼が釣ったのか?どこかの雑誌の転写じゃないのか疑った。しかし話を聞くうちに事実である事が判明。父親と度々出かけていたらしい。高校生らしくない高校生だったのだ。飲酒も含めて。わずか2ヶ月間だったが私は彼に仕事を?彼は私に岩魚釣りを教えあった。前勤務地の金沢では暇にまかせて犀川でウグイ釣りをやっていた。なにせ自転車頼みの身、遠方の渓谷など思いもかけなかった。その後、魚津に来てからは漁港が近く毎日のようにキス・カレイ釣りに出かけ時々は登山。いつだったか友人が遊びに来て山菜採りがてら片貝川の上流に行った際、河原の水溜りに増水後取り残されたと思われる岩魚が5匹程居て手掴みで捕まえ晩酌の肴にした事があった。8月には富山へ移動。そこで会ってしまった渡辺裕之氏。仕事の実績もさることながら国内の2000m級の山の大半を登ったというつわもの。話題は当然山、そして漸く車を手に入れた私は安保ちゃんの助言もあって海釣りから岩魚釣りに傾きかけていた。その話を持ち出すと渡辺さんは乗ってきた。しかし8月、移動直後で仕事に振り回され余裕がなく禁漁は9月末と迫っていた。結局翌シーズンから始める事に。翌年の解禁前になると安保ちゃんと連絡とったり書物を手に少しづつ道具を揃えた。渡辺さんは何も揃えなかった。 1987/3/8初めて胴長を穿き出陣。メンバーは安保、渡辺、私の3人で渓は富山県朝日町の笹川(安保ちゃんの選択)天候は曇りか雪だったような。いずれにしても辺り一面は銀世界。渡辺さんは何も新たに揃えず普通の長靴にどこかで拾ってきたようなオンボロ竿(さすがに後日2人で釣具屋に行き一式新調しました)部落のはずれに車を置き渓へ。途中で長靴の事もあり渡辺さんは左の支流へ。魚がいるとは思えぬ狭い支流。昼には合流を約束し私は安保ちゃんに教わりながら竿を出すが釣れない。でも胴長を穿いての歩きは心地良かった。だいぶ進み堰堤に突き当たる。安保ちゃんが竿を出す。何度か目でヒット、しかしバラしてしまう。尺クラスという。本当かどうかは誰も知らない。そして渡辺さんと合流。小さいながらも1本持っていたような記憶がする。後に解ったのだが渡辺さんは、ひょこっと狭い小沢に入っては駄目だったと言いながらいつもブラ下げてくるのだ。釣れない中ひとまず昼飯。私はゼロ。安保ちゃんが釣れたかどうか定かではない。その後雪の中を登り堰堤の上に出て今度は渓へ滑り降りる。そして淵となっているポイントに私が竿出すと、ついに釣れた。20cm程の黒く痩せた岩魚が。さらに釣れた。3,4本釣ったような。これは嬉しかった。満面の笑みを浮かべたと思う。その先は行けずここで納竿。この釣行と安保隆、渡邉裕之両氏が私を深い深い渓谷へと導いて行った。