熊野川

現在はゲートがあるが私達が行っていた頃はなかった。発電所まで車で行き本流と左からの支流に入った。はっきり覚えているのは安保ちゃんと行った支流。3月の解禁間もない頃。先行者がいないのを確認し釣り始めた。初めての渓、雪の中大物を期待して進んだ。暫く行くと前方に2人組が釣っているではないか。はぁ~?なぜ?車も踏み跡も無かったのに。どうも私等を察して尾根を越え前方に降り立ったようだ。追いつき抗議すると、釣らずに先へ行きずっと離れた場所から釣ると。仕方なく了解し見送った。それでも何本か釣れ川が林道と交差したところで納竿。前方の2人の足跡は解らなかった。雪の林道を下って車に戻りぶらぶらしていると2人が帰ってきた。手にビニール袋をぶら下げていた。中身は?もちろん会話など交わす筈はない。こんな感じだったかな?安保ちゃん。後に渡辺さんと行き、何でもない単純ヘツリで渡辺さんが足を滑らし淵に落下、数秒間姿を消したのもこの渓だったか。本流へは誰と行ったか定かでない。単独だったか。送水管脇の階段を登り三枚滝を目指したが雨が降ってきて引き返した事があった。岩魚は小物ばかりだった。熊野は三枚滝を越えテントを背負い上流に行かなくては駄目だと書かれていた。秋に岩魚の産卵を見ようと渡辺さんと出かけた。産卵シーンこそ逃したが浅瀬で戯れる沢山の岩魚が見れて、オマケにナメコが採れた。10数年後行った時には目的地の遥か手前にゲートが設置され歩く気になれず諦めた。

 八尾町周辺

地元の人からは釣れる川が多いと聞いていた。3人で2回行った。久婦須川だったんだろうか?夕方、テン場に着いて翌日の大漁を祈願し乾杯。「私はとてもおいしいのよ」とウスバカゲロウが舞っていた。渡辺さんは食べなかったが、せっせとナイロン袋に入れ「明日はこれで尺を」と。しかし翌日釣れた記憶はない。もう一度は解禁当初。ひたすら雪の林道を歩いたのは覚えているが岩魚との対面は記憶にない。8月末だったかの風の盆はとても良かった。

 早月川

河口は魚津市、上流は馬場島。ひたすら歩いただけの釣りだった。水は流れてはいるものの、ほとんど雪で覆われた岩の間に餌を入れてみても小物ばかり。途中で止めて山を眺めていた。林道が開通すると馬場島は観光地。付近の渓は入渓し易く擦れていた。立山川の雪渓を越えた上流で釣った記憶が。一方の白萩川は毛勝三山からの帰りに渡辺さんと苦労した渓。

 相又谷

朝日町小川の支流。本当の上流に入ったのは渡辺さんと一度だけ。手前は一寸釣りや山菜採りで数回いった。小川ダムから入り2,3堰堤を越すと大きく右にうねって通らずに。そこから一尾根越えて降りていく。まだ春も早い時期に行った。尾根への登りはスンナリ行けたが下りは岩盤に近く岩肌が出ていた。草付きもまだ少なかったが完全に切り立ってたわけでなく恐る恐る慎重に降りた。竿を出すとすぐに釣れた。大きな淵を高巻いたりしながら満足の釣行だった。入渓者は少なく現在でも行って見たい渓の一つ。記憶違いでなければ。

 大平川(境川)

新潟県と富山県の境界の川。クレソン採りの川。この渓程記憶のはっきりしない渓はない。一番奥の第三発電所まで車が入れた。釣り始めに渡辺さんが自慢の下唇を釣りはずすのに苦労した。晴天だった。初夏か?岩の上にマムシがいた。高い滝がありそこで納竿。帰りにゆったりした流れ沿いに走っていて途中車を止め覗くと数匹の岩魚が、でも釣れなかった。その頃使っていた広域地図にはボールペンで上流の滝が記入されている。渡辺さんが書き込んだもの。発電所から3,4km地点。糸魚川にいた頃単独で数回行った。滝は見ていない。流れのゆったりした場所もない。他の渓との勘違いなのか。また解禁まもなく大平の部落から雪の中歩いて入渓した時だった。トンネルが新設され坑口が半分雪に閉ざされていた。中に入り歩き始めた。薄暗いながらも何とか通過した。ところが帰りには日が陰った為坑口から数メートル先で真っ暗になった。明かりは100円ライターのみで役にたたず。一段高くなっている歩道に上がり側壁を手づたいで歩いたら途中で歩道と側壁が途切れた。わずか20Cm程の段差に度肝を抜かれた。非常用駐車帯だったのだ。500m位と思うが坑口の明かりが見えるまで本当に不気味だった。後年クレソン畑?の隣で寒い中テントを張りキャンプしたもののあまりの寒さに私はたまらず車に逃げ込んだ事もあった。長岡市に居を構えて13年毎年クレソン採りと、ちょっと釣りに行っている。そうそう中流にある巨大な鉄骨?で組み立てられたジャングルジムのような物は一体何なのか?写真がなくて残念。