有峰湖周辺
東谷
立山町で常願寺川に合流する真川と和田川の上流に位置する有峰湖。薬師岳や憧れの雲の平、上の廊下への登山口となっている。またキャンプ場や青少年の家等があった。ちなみに小口川の上流が祐延(スケノブ)で安保ちゃんがボートを担いで苦労した場所だ。有峰湖へは6/1開通の有料道路がある。確か朝6時からでしか通れなかったと思う。毎週水曜か木曜の昼休みになると机に向かっている後ろから「樺沢さん、ちょっと」と声がかかる。「はい、何でしょう」と席を立ち部屋に向かうと「ハハハ、今週はどうしますか。まあ~座って下さい」古ぼけた地図を広げてニヤリ。「ここはどうかね。開通前の誰も居ない時に。なんだったら私が明日の朝出勤前に林道入り口へ行き雪が残っているか調べてくるよ」等と“釣りバカ日誌”の場面のような事があった。翌日の昼休みに「樺沢さん、後でちょっと来てくれますか」「おい大丈夫だよ。雪はほんどない。車でだいぶ奥まで入れたよ。あとは自転車で行こう。食い物は途中買っていこう」こんな中で有峰行きも決まった。この頃は土曜日の午前中は仕事だった気がするから午後からの出発だった。開通前の為ゲートが有峰湖に近い岐阜県側から大多和峠経由で向かった。私も折りたたみ自転車を購入していた。林道の途中で残雪があり自転車を押しながら頂上に到着。
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登りも終わり快調に飛ばして行くと目の前に有峰湖が見え感激。残雪を避けながら左廻りで東谷に到着。やはり辺りは雪。残雪を避けて何とかテン場を確保し夕食用の山菜を探すが何もない。里山では最盛期を過ぎていたが有峰へ行けば最盛期で夕食はテンプラの大盛りにするつもりだった。あるのはフキノトウが少しだけ。それに渡辺さんが食えると言った岩肌にでていたユキノシタのような葉っぱのみ。結局、酒とテンプラ小盛りとラーメン。酒の勢いで寝袋に入ったが朝方は震える寒さだった。
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翌朝は農協ご飯(この頃はまだパックが出ておらず平べったいビニール詰)にフリカケ。そして肝心の釣りは?どうも記憶ががはっきりしない。誰も入っていないのだから相応に釣れたようだ。帰宅後に撮ったと思われる岩魚の写真があった。
東谷へはこの後6月の開通以降に渡辺さんと2度訪れている。1度は雨の夕方に着き川は濁流と化していた。雨は上がり夜の静けさの中ごうごう流れる水の音と共にゴトンゴトンと変な音がするのだ。何と濁流で岩が動きぶつかり合っていたのだ。こんなのは後にも先にも初めてだった。翌朝雨は上がり濁流も治まっていた。そこで噂になっていた有峰の仙人を訪ねてみた。大体の場所は聞いていて川沿いを捜すと森の中に煙が見え近づくとラジオの音が聞こえた。どんな人なのか、ちゃんと会ってもらえるか、心配しながら辿り着くと想像以上に立派な造りの家だった。立木を切り倒して組み立てた掘っ立て小屋と思っていた。材料はちゃんとしたもので屋根はトタン。「おはようございます」と声をかけると返答があり顔を見せてくれた。白髪に口髭で薄手の布を身にまといその瞳は遥か彼方を見つめている人ではなく、これまた普通の初老の男性だった。かすみ以外にも食料は豊富そうでストーブが炊かれていた。さすがに詳細を尋ねるは失礼と思い釣りの話などをした。あまり釣れないというと、山の向こうが良いのではと言われたが解らなかった。薬師沢か、双六か。巷の噂によると、この男性、冬は大阪辺りの工事現場で働き春から秋にかけてはここで生活しているらしい。山の中に住みどこの誰かも分からぬ人物という事で有峰の仙人と呼ばれていた。川に戻り釣り始める前に川虫を採っていたらタモに岩魚が入って来た。
もう1回は7月に入ってから。有峰の周回道路を走り(右回り)東谷に向かうと鎖が張って有り進入禁止。鎖の位置は比較的に高かった。渡辺さんは「何とか行けるぞ」と言い鎖の中央のたるみを持ち上げ手を振る。嫌な予感がしたがまだ先が長いので進む。案の定、車の屋根からガリガリ音がする。トホホ。周遊道路途中でキャンプ。翌朝東谷へ、以前より少し奥へ歩いてから入る。前回来た際、気にかかっていた狭い支流に私一人が入った。少し行くと予想通り良い淵が有った。ここで5,6本手した。上機嫌で本流の戻り渡辺さんを追おうした時トラブルが。足を架けた大きな岩がゴロリと倒れた私の片方の足の上に。痛い、動けない、自分ではどうにも岩を動かせない。渡辺さんを待つしかない。幸いにして水中ではなく河原。暫くすると渡辺さんが、私がなかなか追いつかないので戻ってきたのだ。「どうした?」「岩に挟まれ足が」渡辺さんは岩を動かそうとするがビクともしない。待て、待てと言いながら辺りから流木を持ってきて岩の下の隙間に差込みテコの要領で動かしにかかった。動いた。空いた隙間に石を挟み更に動かすと足が抜けた。助かった。もし1人だったらどうなっていたんだろう。ゾっとした。渡辺さん(命の恩人)に肩を貸してもらい足を引きずりながら車に戻った。その日は休日だったので我慢して翌日病院へ行くと骨には異常はなく湿布をし松葉杖を借りて出勤した。翌週になると痛みは残るもの腫れはひいた。すると「樺沢さん、ちょっと」と渡辺さんが声をかけてきた。
東谷の他に西谷・峠谷等があるが小型な岩魚が多くまたかなりの人が入渓していた形跡があった。祐延に行った(なんと車道ができていた)のは渇水期で流れ込む渓もほとんど水量がなく釣りにならなかった。ここについては安保ちゃんが詳しい筈だ。
真川
有峰の折立(登山口)から真川沿いに林道が有りかなり奥まで車で入れるので、カミさんと二人で。少し歩き渓に降り易い所を探した。降り立つと雪シロは治まり素晴しい新緑と落ち着いた流れにつつまれ感激した。早速テン場を探す。雨でも増水の心配がない川沿いの一等地に構え、焚き木を集めビールを冷やし準備完了。竿を出し晩のオカズをと渓に立つと上流から2人の釣り師が下って来た。まあ~釣りは明日がメイン、今日はあきらめようと。2人共格好が凄い。私達のような薄汚れた胴長ではなく本格渓流タイツにシューズ、ベスト、高そうな竿。「釣れましたか」聞くと「まあまあ、この先で尺を落としたよ」と。どうも釣れてないようだ。長野から来たと言っていた。釣りは止め山菜を少し採ってテン場に戻るとビールが消えていた。やられた。あの格好付け野郎だ。心配になりテントの中を調べると他に盗られた物はなさそうだ。食料と酒パックはあった。気を取り直して火をおこし山菜を炒めた。
翌朝適度に釣れ昼には折立のキャンプ場に戻り売店で昨日飲みそこねたビールを買い乾杯した。真川へは渡辺さんと後日行き源流付近まで詰めた記憶がある。最後の二股から先は浅瀬が続き岩魚も小さくなり引き返した気がする。
跡津川
岐阜県側から有峰へのアクセス林道(舗装なし)沿いを流れるのが跡津川。放流もされているらしく良く釣れるが大物を釣った記憶がない。大多和峠方面への支流と「山の村」への本流がある。神岡で国道41号と別れ奥飛騨方面に向かい町中を過ぎた辺りで左へ。双六岳の麓方面に向かい登りきったところのトンネルを抜けると牧歌的な平地(平野とまではいかぬ)が広がっている。ここが「山の村」、村の中を跡津川とその支流が流れ双六岳の登山道入り口が有り牧場もある。人目惚れした場所。長野の小谷村はやめてここに家を建てたいと思った。何時だったかTVのドキュメンタリー番組で都会から「山の村」に移り住んだ家族の生活振りを紹介していた。お父さんは神岡で郵便局員、お母さんはヘルパーだったか。私は後年、郵便局員のような制服は着たが残念ながら「山の村」近くに職場はなかった。
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岩井谷
この渓に初めて入ったのも渡辺さんと一緒だった。折立から今度は真川沿いの林道を下ると右に岩井谷があった。確か最初は車で行った記憶がある。しかしそれは一度のみで折立の少し先で閉鎖され自転車で行く事に。林道からひと巻きしたところから釣れた。入渓者が少ないのか良型が出た。1時間程釣り上がると鳶谷と本流とに分かれている。鳶谷は1時間程で魚止めとも思える高い滝が現れる。この淵で渡辺さんと私はアベック尺を上げた。ここで本流に戻り更に1時間程釣り下山した。後日単独で鳶谷の上流へ行って見た。岩魚はいた。後年沢登りの本で知ったのだが、薬師岳への沢登りコースになっていてかなりの上流部まで岩魚が生息すると記されていた。一方岩井谷本流も攻めてみた。晴天で活性が悪かったのか上流ではあまり釣れなかったような。素晴しいポイントの連続は記憶している。こんなことも有り林道から2.3時間の行程区間が良かった。カミさんと折立でキャンプした時、ここで尺も含め10本程釣って戻り共同炊事場で自慢気に刺身を作っていたら周りの人達がビックリしていた。