今年のうた 2020                                                            2020.12.14

年初めのJona Tolchinに始まりJackson Browneを沢山聴きながら待ち望んだ10月に発売予定のJackson Browneの新譜は延期となってしまいましたが秋には思いがけずEric Andersenの新譜?に出会えました。外出自粛の頃から暇にまかせて晩酌用CDをたくさん作り感じたのですが50年前から現在までその嗜好はほとんど変わってませんでした。そんな中70年代以降で改めて聴き込んだのは90年代にデビューしたフォークやロックをルーツとした女性シンガーソングライター達です。なかでもカナダのOh SusannaことSuzie Ungerlidernの「Alabaster」は、ほぼスリーコードをゆったりアルペジオで奏でる極めて平凡なメロディに琴線を揺さぶられました。一時期ほどに耳を傾けなくなったTradですが札幌を拠点に活動するRINKAのフィドラー小松崎操さんがパーソナリティのラジオ番組「愛蘭土を聴く」がとても良い刺激になりました。特にアイルランド出身のフィドラーを取り上げた「Mickael Colemanを読む」は必聴でした。毎回じっくり聴きその後はCD棚に手を伸ばしていました。そして気になったのは楽器達。音を出す程度なのですがギター、マンドリン、ホイッスル、フィドルを今年は繰り返し手にしました。やはり楽器が身近にあると聴く楽しみも倍増します。初心者のままこちらも数十年経ってしまいました。

「The Band、かって僕らは兄弟だった」という映画が公開されたようです。既に鑑賞された方のいくつかの感想で大まかなストーリーを知り複雑な気分になりました。私の住むこの地方都市では放映の予定はなさそうである意味ほっとしています。ドラッグ、アルコールと交通事故。制作者側の意図で虚像の賢人を演じたと振り返られても私にとってThe Bandは特別で世界最高のロック音楽を教えてくれたのは事実です。現在もその気持ちに変わりありません。

車のエンジンをかけると同時に流れてくるのはVan Morrionの「Brand New Day」。1970年の傑作「Moondance」の中の1曲です。梅雨明け前にギター教則CDで久し振りに耳にして以来、車中ではこの曲のみになってしまいました。車を使わない日はほとんどなく今年最も聴いたのは間違いなくこの曲です。それにしても、この名曲をこれまで聴き込まなかったのか振り返ってみると思い当たる事が。この曲はB面に入ってたからではと。「Moondance」のA面は「Crazy Love」「Caravan」をはじめすべてが名曲でほとんどB面へは進まなかったようです。何とも心地良い安堵感を感じさせてくれる「Brand New Day」。まだしばらく車中ではこの曲を聴き続けます。

先月購入したEric Andersenの新譜は新録ではなく1991~2011の10年間のライブとスタジオセッション等をまとめた3枚組で質量共に大満足の作品です。Woodstock周辺の友人John Sebastian、Happy&

Artie Traum。かってトリオを組んだRick Danko、Jonas Fjeid等が参加し往年の名曲を聴かせてくれます。奥様のInge Andersenのハーモニーが心地良い「Blue River」。Ericが唄うことを本当に楽しんでいる様子が伝わってきます。

 

 

私がEric Andersenを知ったのはご多分に漏れず1972年の傑作「ブルーリバー」でした。当時購読していた「ニュー・ミュージックマガジン」の広告に小倉エージさんが無人島へ持って行く10枚のうちの1枚と紹介されてた気がします。全く同感です。このアルバムを機に以降の新譜や過去のアルバムも入手し名曲「Violets of Dawn」や「Thirsty Boots」等初めて耳にしました。初来日のステージは逃したものの1978年就職先であった金沢市の北國講堂で見る事が出来ました。人もまばらな会場の最前列中央で観たEricは切ない程に会場を盛り上げようとしてた姿が目に焼き付いています。「ブルーリバー」からの曲が唄われると私は目を閉じてひたすら喜びをかみしめてたたようです。その後いくつかの新譜を聞いたのですが1989年の「Ghost Upon The Road」を一番聴き込んだ気がします。北欧での活動を経てニューヨークに戻って制作されたこのアルバムは当時のフォークシーンを支えた人々に囲まれて作られました。旅先や過去の心情をこれまでにない程力強く唄っています。この頃私は長野県の豊科町(安曇野市)に勤務していて行き詰まる事がある度に常念岳を眺めながら聴き入っていました。

4月にコロナウイルス感染で大好きなシンガーソングライター、John Prineが亡くなりました。10月に入るとJerry Jeff Walkerの訃報が。

愛犬を連れてすり切れた靴を履きよれよれシャツにだぼだぼズボン姿で軽快にダンスを踊り、わずかな稼ぎで酒を買い旅回りを続けた白髪老人との出会いを唄った「ミスター・ボージャングル」を初めて聴いたのはNitty Gritty Dirt Bandがカバーしたもので70年代初頭でした。Nilsson、David bromberg 、Hunt&Turner

等に加えDylanもカバーしている有名曲です。国内では中川五郎さんが唄っています。

この曲の作者である”ジプシー・ソングマン”ことJerry Jeff Walkerを知ったのは2,3年後の事です。ニューヨークからテキサスのオースティンに移住しTowns Van ZandtやGuy Clark等と交友を重ね地元のLost Gonzo Bandと共に骨太のカントリー(レッドネック)ロックを聴かせてくれました。私が最も感じたのはJerry Jeffの存在感の大きさです。オースティンのミュージック・シーンに置いては誰もが彼を慕い何もせずとも彼がそこに居るだけで陽気で乾いた埃っぽく魅力的な唄が生まれた気がします。

 

1997年 Towns Van Zandt(53歳)2016年 Guy Clark(74歳)が、そして今年Jerry Jeff Walker(78歳)が逝ってしまいました。

「夏が終わり秋になると美しい季節がやってきて素敵な曲が溢れています。この変化する季節にぴったりのシンガーソングライターによる15曲を紹介します。座ってリラックスしてお楽しみ下さい」とのコメントが添えられたこのアルバムを今年も取り出しました。大半がアコースティックギターやピアノの弾き語りで小春日和の優しい秋風のようなアルバムです。70年代後半にはメジャーから見放され表舞台から姿を消したシンガーソングライター達。マイナーでローカルなRounder傘下のPhiloレーベルが70年代からその姿勢を変えることなく沢山のシンガーソングライター達を支え続けました。もちろんこのアルバムもPhiloから1991年に届けられた大切な一枚です。(2020.11.1)

Downhill From Everywhere/A Little Soon To say
Downhill From Everywhere/A Little Soon To say

楽しみにしていたJackson Browne(J・B)の新作。10月発売のアルバムからの先行シングルが届きました。6年振りの新曲。参加ミュージシャンは旧知のGreg Leizeや大ベテランBob Glaubを含む近年の活動メンバー7名。力強いリズムセクションとデュエットにハーモニーが絡むアップテンポの「Downhill From Everywhere」は刑務所、農場、学校、病院、議会・・・・全てが下り坂と唄っています。もう1曲の「A Little Soon To say」はホッとするJ・Bメロデイ。こちらは内省的で全てが大丈夫かどうか言うのは早すぎると。Jeff youngのハモンドが全体を包むように響き渡っています。

1972年のデビューアルバムからこれまでに18枚リリースしているJ・B。48年間でこの枚数は決して多いとは思いません。1996年の「Looking East」と最近出た日本限定来日ライブ以外は手元に有ります。今年1月に入手したDavid Lindleyとのライブ(78)手にし以来J・Bを聴き続けています。時々一人のアーティストを集中的に聴き続けるのはよくあることですが4ヶ月はかなり長い気がします。後追いで手にした数枚はどれもが新鮮でした。特に2014年の「Standing In The Breach」は染みました。私は1977年の初来日と2008年の2回コンサートに行きましたが今年のフジロックへの出演が決まったと知り迷っています。数年前、Dylanが出演した時に翌日の新聞報道を読み行かなかった事を後悔した記憶がよみがえります。

私がこれまでに最も聴き込んだのはやはり70年代の3枚でした。

私的な内容の作品が多かった初期のJ・Bですがスリーマイル事故が起こった1979年に音楽仲間のJohn Hall、Bonnie Raitt、Graham Nashの3人(私も大好きなアーティストです)とMUSE(安全エネルギーのためのミュージシャン連合)の中心的役割を担いベネフィット・コンサートを開催しました。これはそのコンサートライブです。私の好きな唄がぎっしり詰まっています。当然J・Bは「The Crow On The Cradie」「Before The Deluge」をJohn Halは「Plutonium Is Forever」を唄っています。その後J・Bは政治・社会・環境問題に軸を移して行ったようです。

60年代から音楽活動をしていたJ・Bの作品をいち早く取り上げた一人がTom Rushでした。「Shadow dream Song」「These Days」「Colors Of The Sun」「Jamaica Say You Will」いずれも初期の名曲です。またJ・Bの作品は数多くのアーティストがカバーしています。有名ではないのですが同じく西海岸のSSW・Jon Wilcox(彼のFolk Legacyからの1stは私の宝物)がカバーした「Looking Into You」が一番好きです。(2020.6.7)

元々毎日が休みの私はできるだけ休日を避け平日に出かける事にしています。ですので自粛如何に係わらず連休は自宅で過ごしました。庭の小さな畑にレタスを蒔き絵を2枚描いた以外はCD編集に時間を費やしました。年齢と共に集中力や緊張感の持続が苦痛となりCD一枚を通して聴く事がほとんど無くなってしまったのです。それでは時々聴きたくなる曲を一枚にまとめてしまう事にしたのです。これはあくまで個人用です。約2500枚のCDをアーティストやジャンル、年代別にして20曲程度のCD-Rを5、60枚程。なかなか根気のいる作業でした。曲名はもちろんアーティスト名さえ忘れかけていたものが沢山ありました。ただ70年代は驚くほど鮮明な記憶が。10~20代に出会った唄が私にとって一生の宝物になっていました。それらの中でも大好きなJackson Browne(J・B)の新作が月末にリリースされると知り予約しました。新型コロナ感染で逝ってしまったJohn Prine。J・Bも3月に感染したものの軽症だったようです。3年前に亡くなったJ・Bの60年代からの友人Penny Nichlsが2012年にリリースした初期のJ・Bの作品を取り上げた「Colors Of The Sun」を聴きながらJ・Bの新譜を待っています。(2020.5.8)

4月7日、新型コロナウイルスで米国のSSW、John Prine

が亡くなりました。私が彼の唄に出会ったのは1973年頃だったと思います。国内盤がリリースされ山本隆士、麻田浩、中川五郎の3氏という豪華なライナー、もちろん歌詞対訳も。空前のSSWブームだったのです。徴兵から除隊後、郵便局員をしながら地元シカゴで音楽活動を続けていたJohn Prine。ニューヨークを経て南部メンフェスのアメリカン・スタジオでArif Mardinのプロデュースのもとデビューしました。親しみやすくカントリー・フレイバーなメロデイに私はすっかり夢中になりました。しかしそのメロディで唄われた内容は辛辣で孤独、悲壮感に満ちていたのです。ベトナム帰還兵が負ったPTSDから逃れるためにドラッグ中毒に陥りこの世を去って行った若者を唄った「Sam Stone」や息子を戦争で亡くした老人のうつろな生活を表現した「Hello In There」等。対訳を一生懸命読んだ気がします。彼の傍らにはいつも同郷シカゴ出身で1984年に他界したSSWで「City Of NewOrleans」の作者Steve Goodmanがいました。ここからは見えませんが向こうの世界でSteveと再会し存分に唄って下さい。John Prineはグラミー賞作品を含め20数枚のアルバムを発表しています。私はほんの数枚しか聴いていませんがやはり1stアルバムが一番印象に残っています。(2020.4.18)

大好きなミュージシャンの1977年と78年のライブCDを入手しました。私の人生の転換期となった頃のものです。1977年4月晴海で行われた「ローリング・ココナッツ・レビュー・ジャパン」コンサート。海洋汚染や反捕鯨がテーマだった気がします。自然保護団体「グリーンピース」の活動や反原発の気運が活発化したのもこの頃でした。79年にはスリーマイル事故、米国で「ノー・ニュークス/ミューズ・コンサート」が行われたり、81年には「東京に原発を」が出版されました。晴海のコンサートに出演していた「久保田麻琴&夕焼け楽団」、晴海、ノー・ニュークス両方に出演したJackson Browne&David Lindley。手にして懐かしさよりも何も変わらぬ自分が嬉しくもあり悲しくもありの様な不思議な気分です。2枚とも録音状態が良いとは思えませんが確かな唄がぎっしり詰まっていました。そして1978年7月放浪生活にピリュードを打ち金沢へ行き犀川の河原の芝生に寝転がりビール片手に「久保田麻琴&夕焼け楽団」のステージを堪能しました。(2020.2.16)

おいしい唄は年末に届いた2枚です。昨年僅か4枚しか新たに聴かなかった点を反省し注文したものです。2枚とも昨年のリリース。以来聴きっぱなしの日々です。Jonah Tolchinの「Fires For The Cold」は国内盤で歌詞の対訳を期待したのですが残念ながら。でも嬉しいですね。これは紛れもなくSSWの名盤です。70年代のSSW達に劣らぬ仕上がりです。ベースのリズムとスリーフィンガーにピアノが加わりシンプルなメロデイに乗せて静かにややラフに歌い出すJonah Tolchin。27歳の彼はどんな事を唄っているのでしょう。抑制する事の美学で名盤をものにした唄い手も沢山居ましたが彼はとても自然です。私の好きな下り系パターン・メロディ、時折混じるフィドルやペダルスティール、そして寄り添う如くの控えめのコーラス。こんなに聴き込んだのは1998年のD.Braxton Harris以来です。そして1989年のJames Mcmurtryも引っ張り出してみました。

 

もう1枚は入荷は1~2ヶ月待ちとなっていたCannon Hill Irregularsの「In Their Prime」。運良く1週間で届きました。 70年代初めに出会った「Morris On」というアルバムは衝撃でした。ここまでモリス・チューンで固められたものは初めてでした。参加メンバー全員が実力者。Ashley HutchingsとJohn Kirkpatrick二人の志向によって制作されたようです。その後も二人は長年に渡りモリス・チューンを踏襲した音楽を作り続けています。そんなAshleyが率いたのがAlbion Band制作アルバムは数多く私は10枚程しか聴いていません。初期のメンバー数人が新たに結成したのがHome Serviceで1984年の事。トラッドから少し距離を置いた良質なフォーク・ロックアルバムでした。以来遠ざかっていたのですが昨年、Home Serviceのメンバー3人が参加しているこのアルバムの存在を知り入手しました。お爺ちゃん達がフルパワーで作り上げた傑作です。力強いドラミング&ベースに唸るギター、踊るキーボード、アカペラを交えたはつらつヴォーカル。もちろんフィドルもアコーディオンもホーンもいます。取り上げたトラッド曲からSteeleye Spanを思い出させてくれました。とにかくパワフルです。元気をもらいました。

 

2枚共おいしいジャケットですね。特にCannon Hillの内ジャケのお爺ちゃん達の笑顔。(2020.1.8)

今年のうた 2019

今年、私のCD棚に新たに加わったのはわずか4枚でした。しかも内2枚は頂き物です。唄は50年前と同じく聴き続けているのですが。それでは何故こんなに減ってしまったんでしょう。巷に私を惹きつける唄が無くなったからでも、唄以上にに興味を注ぐ何かが出来たわけでもありません。おそらくは感性の劣化と記憶力の低下が原因と思われます。それと消化しきれない程に買い集めてしまった事も一因のようです。老化特有の鮮明に蘇る過去の情景の中で聴いた唄に矛先が向いてしまっているようです。あれ?こんなのも持っていたんだと棚から引っ張り出してはうなづく毎日です。

バンジョー片手にフォーク、マウンテンミュージックを背景に魅力的なバラッドを聴かせてくれる女性SSW。聴き初めて浮かんだのがGillian WelchやEdwina hayes。共通しているのは素朴、そしてジャケが私好み。一曲目の「Across The Great Divide」。これは何処かで聞いたタイトル。そうですThe Band、Kate Wolf(Nanci Griffithがカバー)が唄っていたのです。いずれかのカバーと思い聴き始めるもどうも違うような。同名異曲?。それはともかく心地良く控えめなバンジョーとフィドルの音色をバックに唄われる楽曲は私小説的な表現というよりもトラディショナルな部分が強く感じられます。

これは頂いた一枚で少しの違和感なく私の棚の名盤コーナー?へ。70年代初めに米国の東部Woodstockという芸術村にゆかりのミュージシャンやその仲間が集まりピクニック気分でセッションアルバムを制作したのがMud Acresでした。これはその南部版のように感じられます。発起人はJeb Loy Nichols。集合場所はNashvilleでメンバーはTony Joe White、George Soule、Larry Jon Wilson、Bonnie Bramlett、Dan penn、Donnie Fritts。迎えたのはSpooner Oldham、David Hood、Reggie Young、Bryan Owings、Wayne Jackson、Billy Swann等。総指揮者Dan Pennによって制作されたのは2004年の事でした。悪かろう筈はありません。私はこのアルバムの存在を知りませんでした。貴重な物を頂き感謝しています。Tony Joeは昨年亡くなってしまいReggie YoungとDonnie Frittsも今年帰らぬ人に。

 

 

今年も大好きなミュージシャンの訃報が。寂しい限りです。中学生の頃に夢中になったWalker BrothersのScott Walker。「孤独の太陽」「ダンス天国」が懐かしい。借り物のエレキ・ギターで必死に真似たVenturesの一員でもあったGerry Mcgeeは後にMarc BennoやRita Coolidge等のアルバムに参加し後年は彼本来のブルースを中心とした音楽活動に戻っていました。そして来日ツアー中に亡くなるという悲劇。CreamやBlind FaithのドラマーGinger baker。Little FeatのギタリストPaul Barrere。まさに御大の名がふさわしいDr.John。米国南部のスタジオで大活躍したセッション・ギタリストのReggie Young。そしてDonnie Fritts、2015年の「Oh My Goodness」が心に染みます。

 

映画の内容も然ることながら、サウンド・トラックの唄により心を揺さぶられた「イージー・ライダー」の主役を演じたPeter Fondaも逝ってしまいました。「小さな恋のメロディー」もしっかり記憶に残っています。 (2019.12.25)

このところ車内ではずっと「Byrds Play Dylan」を聴いていました。この日も「You Ain't Going Nowhere」のペダル・スティールの音が聴こえてきたらうっとりしスピードダウン、小春日和の中で何とも心地良い気分でした。帰宅後手にしたのは「Sweet Heart Of The Rodeo」。普段、ボーナス・トラックに期待しないと言うより敬遠しがちの私ですがこのアルバムは別でヴォーカルがRoger Mcguinnに差し替えられたというトラックの本来のバージョンである故Gram Parsonsのヴォーカルがようやく聴けたのです。(2019.12.8)

1960年代の後半から私が好んで聴いていた音楽も80年代に入ると表舞台から姿を消してしまい音楽雑誌をめくっても出会う事が出来なくなってしまいました。船津潔さんがやられている通販レコード店「田圃鈴」がすべての情報源でした。お陰で途切れることなく米国や英国の中でも私の好みのロック、シンガーソングライター、トラッドを聴き続けられたのです。そして平成に入った90年代の後半に出会ったのが浦野茂さん編集の小冊子「VINYL」でした。「こんなアルバム、ブラックホークで聴いてみたい」おお!何とも良い響き。ここには私にとって初めて出会う沢山の素晴らしい唄が紹介されていました。まさに平成のブラックホーク・ニュース。先日、カフェ「ToRamona」で浦野さんに初めてお会いし懐かしくなりCD棚から取り出し耳を傾けるこの頃です。そして令和の時代にもブラックホークで聴いてみたい歌い手が現れる事を信じています。(2019.5.5)

 ブラックホークといえば2月でしたか私の好きな札幌のアイリッシュ音楽ユニット「RINKA]のフィドラー、小松崎 操さんが担当するFMラジオ番組 世界音楽めぐり「アイルランドを聴く」の中で話題になっていました。思わずにんまり。毎月第3月曜日の朝8時からの放送です。アイリッシュに限らずトラッド好きの方にはお勧めの番組です。

 三角山放送局(インターネット放送)

日曜日の朝6:05の一番バスに乗り長岡駅から新幹線で高崎に向かい一度乗って見たかった八高線で新緑の中を埼玉県を横切りあきる野市へ行く予定だったのですが。バス停に行き時刻表を見ると2段になっており土日運行の始発は7:10と。昨日たてた予定が音を立てて崩れ落ちてしまいました。やはり私は何かが足りないようです。夕方までの行動予定を考えると八高線はあきらめるしか。結局東京駅から中央線であきる野市へ。当初予定の1時間遅れのお昼前に念願のカフェ「ToRamonaさんに。HPで拝見したとおりのLPレコードが棚いっぱいに並べられた素敵なお店でした。もちろん流れる音楽はあの「ブラックホーク音楽?」。そして店主の浦野 茂さん、また運良く奥様にもお会いすることが出来ました。丁度20年前に滋賀県でコンク・レコードという通販をやられていた服部さんに紹介されて以来、浦野さんが編集されていた音楽関係の冊子「VINYL」を送っていただき年賀状でのアルバム紹介と併せて沢山の唄に出会えました。私と浦野さんの共通点は年齢と70年代に渋谷の「ブラックホーク」へ通っていた事です。穏やかな人柄と豊富な音楽知識と愛情。カレーライスとコーヒーをいただきながらあの頃の話をしていたらあっという間に1時間が過ぎてしまいました。2、3時間浦野さんが選んだアルバム(片面ずつ)を聞きたかったのですが、それは次回の楽しみとします。本当にお会い出来て良かったです。ありがとうございました。唄好きの人が沢山訪れる事を願っています。(2019.4.23)

寒くなりコタツを出して以来、膝の上にミケを乗せPCを前に置き絵を描く日が続いています。これまでは唄を聞きながらでしたが最近は疲れるとペンを置きユーチューブの映像をよく見ます。そんな中で感動した映像がありました。ニューポート・フォークフェスティバル2008に出演した今は亡きLevon Helm(L・H) Bandです。オフェシャル版なので音声も映像もクリアーです。1976年のThe Band解散後も精力的に音楽活動を続けてきたL・H。喉頭がんに侵されたものの見事に復帰し素晴らしいアルバムを届けてくれました。マルチプレイヤーのLarry Campbellを中心としたホーンセクションを含むこのバンドには娘のAmy Helmも参加しています。ここでのL・Hは体調万全とは思えませんが彼の笑顔からは音楽を心底に楽しんでいる様子が伝わってきます。Larry Campbellのフィドル伴奏のみでLarryの相棒Teresa Williams、娘のAmyと3人で唄うトラッド風味の「Anna Lee」はL・Hの祈りのような気がしました。またマンドリンを抱えての往年の名曲「Rag Mama Rag」では旧知の仲のHoward Johnsonがチューバソロで盛り上げてくれます。The Band時代の楽曲を含めての約1時間のコンサートには私の好きなアメリカン・ルーツミュージックのすべてが詰まっていました。ラスト曲「The Weight」にはミニギターを抱えた青年(日本人?)と大好きなシンガーソングライターGillian Welchも参加しています。

 

The Band、RCO AllSters、The Band再結成、L・H Bandと沢山の仲間達に囲まれた音楽一筋の素晴らしい人生だったのですね。3年後の2011年10月のコンサート映像もありました。ほぼ同メンバーによるものですがL.Hはほとんど声を失っていました。それでも名曲「Ophelia」を絞り出すように娘のAmyと唄っている姿を見たときは・・・・。そして半年後の2012年4月19日 71歳で逝ってしまいました。(2019.2.3)

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