北又谷
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7月中旬、「樺沢さん、ちょっと来て下さい」山でも釣りでもなかった。「長野県の豊科へ異動が決まりました」「私は広島へ行きます」希望は叶ったが、渡辺さんは広島とは。寂しさがこみ上げてきた。せめて東京か名古屋辺りだったら良かったのに。安保ちゃんに連絡し異動を伝えるとともに3人で何処か行こうと。渡辺さんとも相談の結果、もう北又谷しかないと決定。移動まで2週間しかない。私はともかく渡辺さんは忙しい身。何とか都合をつけてもらい決行。天気予報も悪くない。予定は2泊3日で、元湯から越道峠へそこから山超えで旧魚止めの上に出て大釜滝、又エ門滝を巻き広河原を目指すというもの。当日は曇り。期待と不安が入り混じる中、渡辺さんのバイクで元湯をスタート。越道峠から歩き始めると道らしき踏み跡があつた。しかし途中でなくなり藪漕ぎでは方向に自信が持てなかったので渓へ降りることにした。旧魚止めは超えた筈。下り始めると予想以上の急降下が続いた。なかなか流れが見えない。さすがに北又谷だ。急勾配過ぎてザックを背負ったままでは降りられそうもなく身軽にして私が最初に降りた。ザックをザイルで下ろし安保ちゃんも降り立った。上で渡辺さんが「おーい。荷物降ろすぞと」ところがザックと一緒に何と渡辺さんがずり落ちてきた。びっくりした。安保ちゃんと二人で勢いのついた渡辺さんをキープした。草付きの斜面で着地も成功し幸いにして怪我はしなかった。
ついに降り立った。ほんの序の口とはいえ北又谷に。やはり水量は迫力があった。ここがどこなのか?旧魚止めは超えたか?先へ進むと大きな滝と淵。右には支流。地図を出し確認したところ滝は大釜滝、支流は恵振谷だった。曇り空からはポツポツ雨が降り出してきた。とりあえず釣りの準備をして私と安保ちゃんは大釜滝、渡辺さんは恵振谷の入り口で釣ってみた。釣れなかった。渡辺さんも良型が出てはきたが食いつかなかったと。ここで昼飯。ここからは滝と廊下の連続、高巻きは右岸か左岸か?植野稔は左岸を行った。しかしその先で40mをケンスイで降下している。う~ん。雨も降ってきた。ここはエスケープ可能な右岸で行く事に。登り始め4、50mはスンナリ行けたが進むに連れ険しさが増す。木にぶら下がりケンスイの連続。行けども行けども先の展望は開けぬ。誰からともなく「ここをクリアーして夕方河原に辿り着いても雨で増水し渡渉できないのでは」。というよりも3人共くたばったのだ。「まだ機会はある」「無理は禁物」「大釜と恵振谷は見た」「そうだ、そうだ」「勇気ある撤退だ」「信長も利家も謙信だって判断は撤退だ」などと勝手に慰め合って越道峠へと引き返した。はたして見たのは本当に大釜と恵振谷だったんだろうか?
小川温泉元湯脇を流れる小川の河原でキャンプ。送別の宴。会話は「北又は凄い、植野稔は凄い」「今日は雨だったから」「いつか必ず」その後キャンプの度に「北俣へ行くぞ」言ってはみたものの未だに実現しておらず見込みも無い。翌日は快晴、これが梅雨明けだった。細々流れる小川を探ってみるが。さすがの渡辺さんも。ビールで朝食。橋を渡り元湯の露天風呂へ、雑誌のカメラマンと名乗る男が現れカメラを向けられた。「雑誌に載るかもしれません」と。渓流釣りの雑誌にだけは載せないでくれ。こうして私達の北又は終わった。
渡辺さんは広島へ、安保ちゃんは数ヵ月後埼玉に、私は豊科へと。暫く会えぬと思っていた渡辺さんと何故か4ヶ月後の11月には5時間歩きで大町の奥に入りテントを張っていた。それは別項で。