
大蛇の村へ
西俣川へ初めて行ったのは1995年9月1日~3日だった。私はその頃小出町に住んでいて名古屋から東京出張の帰りに渡辺さんがやってきて一緒に出かけた。新幹線の浦佐駅で迎え私の仕事が終えるまで渡辺さんは会社の付近で待ってもらった。私は席に戻り仕事をしながら窓の外を見ると会社近くの畑にかがんで何かをしている男の姿が見えた。あれ?渡辺さん。まさか野菜泥棒でも?仕事を終え駐車場へ行くと渡辺さんが待っていた。「おい、いいミミズが沢山採れたぞ、これで明日は爆釣だ」と笑顔で。良かった野菜泥棒でなくほっとした。帰宅し久し振りの再会に乾杯し翌朝関川村へ向かった。大石ダムの駐車場に車を置き大蛇が顔を出したトンネルをくぐって登山道へ。アップダウンを繰り返しながら杉林が格好のテン場なっている中ノ俣との分岐点を通過すると心地良いブナ林が続いた。流れ込む支流も魅力的だったが初めての渓で目指す大熊小屋までの所要時間が掴めずひたすら歩いた。4、5時間かかったのだろうか。古い吊り橋を渡ると上に小屋が。先客はいなかった。想像以上の立派な山小屋で一安心。早速渓に降り立ち渡辺さんが採ってくれたミミズを投げ込むと即座にゲット。夕食分をキープし夕食。やはり小屋は楽だった。テントと違って思い切り手足を伸ばして爆睡。

その先は比較的に平坦で好ポイントが続く魅力的な渓。今夜も小屋止まりで時間はたっぷり。まばゆい陽射しが差込みきらめく水面に立っている時ほど幸福な時はない。しかしそう全ては上手くはいかないのが渓。先に進むと渓は二股に分かれていた。どちらが本流か分からなかったが険しそうな左の渓へ。

しばらく進むと豪快な魚止めと思える滝があり納竿を決め大きな淵に向かい岩に登ったところ、岩がゴロンと動いた。落ちたはずみで右親指を打ち付けてしまった。あまりの痛さに靴を脱いで見ると親指の爪が完全に剥がれていた。調子に乗りすぎたか。淵は渡辺さんに任せて痛みをこらえていた。帰りは途中から杁差・飯豊の登山道に辿り着き小屋へと戻った。

小屋前で焚き火を起こし夕食準備をしていると登山道を誰かが降りて来た。日帰りでの杁差登山で帰りだそうだ。もう4時。ここからまだ下りとはいえ3・4時間。泊まってはと勧めたが大丈夫といい下山していった。元気なおじさんだった。足の指は痛むものの岩魚の塩焼きにビールで心地良い満足感。明日は下山のみで我慢できそう。でも渡辺さんは必ず途中の支流で何回か竿を出すだろうなどと思いながら眠りについた。
朝起きても足の痛みは残るものの何とかなりそう。そして予想通り渡辺さんは良さそうな支流に立ち寄ってはにこにことぶら下げて来た。私は次は安保師匠とも来なくてはなどと考えながら座り込んでいたのだ。昼には下山。駐車場でインスタントラーメンで打ち上げ。満足の2泊3日だった。大蛇には会わなかったがマムシにはよく会った。その後私は安保師匠等と2度程大熊小屋へ行ったが悪天候だったり水戸藩の強者と一緒になったりであまり釣れた記憶はない。また今は亡き友人が岩魚釣りを経験してみたいという事で春先に中ノ俣付近まで行ったのだが水に入った途端に馴れぬ友人は転けてしまいずぶ濡れに。誰も入渓してなかったのか直ぐさま良形を私が2、3本釣り、刺身と岩魚チャーハンで乾杯しながら春の陽射しで衣類を乾かして下山した事も会った。この渓には素晴らしいブナ林が点在してる。釣らなくても新緑や紅葉時期にもう一度行ってみたいと思うのだが実現していない。