片貝川

記憶に残っている渓は沢山あるが、この渓はいろんな意味で原点のような気がする。初めていったのは釣りではなく登山の為だった。車を持たぬ私は魚津駅からバスで山女(アケビ)の部落まで行き川沿いにひたすら歩き僧ヶ岳の登山をめざしたのだ。登山道入り口をやっとの事で探し当て登り始めてみたもののまったく整備されておらず廃道状態。おまけに熊の糞やらボロボロに爪をたてられた看板を見て怖くなり1時間程で引き返した次第。後に僧ケ岳へは宇奈月側からが一般と知り改めてアプローチした。後年熊を見たのもこの渓だった。山菜採りの帰りだったと思うが、かみさんと片貝山荘の付近を歩いていると2,30m先の対岸に真っ黒い物が目に入った。背中をこちらに向けひたすら木の新芽らしきものを食っていた。時々手を伸ばし上の枝を引っ張りながら。私もかみさんも固まった。じっとしていた。熊は食い続けている。私はかみさんが嫌がるのをなだめながら静かに先に進み通過し胸をなでおろした。熊は一度も振り向かなかった。どさくさ紛れにシャツターを押したのだが写ってなかった。下から釣り人が2人登って来たので、この先に熊がいるというと引き返していった。毛勝三山のアプローチもここから。翌週予定の登山の下見に行き毛勝谷の雪渓途中の大岩の上に眼鏡が置き忘れて有ったのを見つけた。帰りに片貝山荘の登山届けのメモに忘れた旨の書き込みがあった。高岡市在住だけで名前がない。帰宅後、眼鏡ケースに書かれた店に連絡を取り調べてもらう事に。4、5日後判明し本人が会社に取りに来て渡すことができた。その際お礼にかなり高いサントリーのウイスキー「山崎」をもらった。渡辺さんが「お前に渡すとすぐに飲んでしまうから、次のキャンプまで預かる」と言って持ち帰った。次のキャンプの時には3分の1も残っていなかった。そして毛勝三山登山。急な雪渓登り、前の週に練習したピッケルは使う事なく登れて一安心。毛勝・猫又・釜谷と歩き剱岳を見ながら白萩川へ降り立った。川を下り馬場島へ向かう途中、渡辺さんが転んでしまう。胸を打ちかなり痛そうだ。日の暮れないうちに馬場島に着かなくてならない。荷物は私が背負いゆっくり慎重に足を進め何とか下山した。翌日病院から戻った渡辺さんに聞くと肋骨数本にヒビが入ったそうだ。しかし渡辺さんは「今度の休みは何処へ行こうかと」来た。

片貝川のつもりが脱線して登山の話になってしまった。話を戻そう。夏の暑い夜に先輩と片貝上流に岩魚を掴みに行った事があった。懐中電灯と水中メガネを持って岩の下を覗くと確かに居た、でかいのが。しかし逃げられてばかり、ヤスでもなくちゃ無理だった。それと水が冷た過ぎてとても入っていられなかった。結局収穫はゼロ。帰りに浅瀬を歩いていると突然バシャバシャと背びれを見せながら深みに逃げる大物がいて驚いた。岩魚が居る事が実感できたのがせめての収穫。何故ならこの後岩魚釣りを始めてすぐに向かったのが片貝川だ。片貝川は最後の集落を過ぎてすぐに別又谷(小物しか釣れなかった)があり5km程進むと南又谷更に5km先で毛勝谷そして最上流部となる。笹川で洗礼を受けた渡辺さんと私は次に片貝へ。第二発電所までは車、その後は雪の上を延々と歩き南又との出会い付近から釣り始めた。釣れた気がする。橋があってその先に2段の堰堤下では数があがった気がする。その後単独でもこの付近が一番良く釣れた。第二発電所に戻ったら安保ちゃんの車があったのは、この時だったのだろうか?会わなかったから安保ちゃんは南又でも行ったか。4月になると林道の雪もなくなり気持ちのいい渓歩き。予想以上の大物のヒットに慌てふためき転んでバラしたなんて事も。

富山から豊科(長野)、白鳥(岐阜)、小出(新潟)と移動し糸魚川に住んでいた頃魚津に数回行った。魚津漁港と周辺道路は以前の面影は残っていなかったが、行き付けのラーメン屋と片貝川は変わらずいい雰囲気でそのまま残っていた。しかし南又谷の大杉はあっても岩魚達の姿は激減したような気がした。