常念岳
常念岳

豊科町南穂高(寺所)

 窓を開けると目の前は田んぼ、見上げると常念岳から蝶ヶ岳の稜線。即座に気に入り少しこの古い家に決めた。富山から松本に移り住んだのだが職場のある豊科町に住まいを探していたのだ。これは大正解だった。一軒家というのは初めてで猫達は外で遊べたし畑もあり杏や栗の木もあった。そして何よりも近所の人に懇意していただいた。猫が縁だったか近所の栗原さんのお子さんが日中一人のカミさんのもとに遊びに来てくれた。そんな事から家族ぐるみの付き合いをさせていただいた。また近所には親戚の方がおられ晩酌等度々お世話になった。豪快な大工の棟梁が育てた小ぶりの桃が懐かしい。お見事としか言いようのない数十鉢の盆栽をお持ちの叔父さん。休日の午後栗原のお婆ちゃんにお茶に呼ばれお邪魔すると手作り「おやき」に漬物が、酒好きの私はお爺ちゃんとコップ酒。そういえばバーベキューの時だったか酔っ払って犬(ゴンベイ?)小屋に入り犬と一緒に寝てしまったなんて醜態も。ご主人とは釣り(栗原さんは器用な技巧派で私は体力派)キャンプという共通の趣味があり魚津や親不知の海へ家族揃ってキャンプがてら出かけたが釣れた記憶がない(その後栗原さんは良いポイントを見つけ黒鯛のふた桁釣りを)もちろん長棟川へも行った。また自家製野菜を沢山いただいた。それ等を使った冬の野沢菜、夏の茄子漬けには夢中になった。その後自分で漬けてみたが決してあの味にはならない。

 

元来、温泉や蕎麦が好きな私達にとって極楽だった。よく通ったのが隣の穂高町の穂高温泉郷のしゃくなげ荘の隣の公共の湯或いは「天満閣」ちょっと熱い「山のたこ平」。温泉郷の奥には「きちがいざる」で有名な蕎麦屋「くるまや」が。いつも行列だった。そこで地元の人に教えてもらった「くるまや」の身内の方がやられている「やまかわ」の常連になった。そういえば上高地へ向かう途中の山形村の蕎麦屋は一寸変わっていた。どこも店構えがないのだ。普通の民家(農家)の座敷でいただいた。蕎麦も美味かったが一緒に出される煮物・漬物・りんごも魅力だった。そして産地は少し離れた塩尻市桔梗ヶ原の「五一ワイン」も感激で十分酔わせてもらった。肴は馬刺しで。

 

豊科を離れた後も度々栗原さん宅と「やまかわ」にはお邪魔している。二人の娘さんは立派なお母さんに。

 爺が岳スキー場

豊科ではスキーにのめり込んだ3年間でもあった。毎週のように大町の初心者向きスキー場「爺ケ岳」へ通った。まだ八方や五竜のレベルではなかったのだ。国道147号の渋滞は凄かった。途中で引き返した事も。経費削減とレストランの混雑を避け昼食は駐車場で煮炊きした。この後も好んでスキー場を有する地域に移動し二人共何とか人並み程度に滑れるようになった。春先は渓流、夏は山、秋は海釣り、冬はスキーというのが仕事を離れた時の私達の時間。そういえば後年登山で鹿島槍ヶ岳へ向かう途中に爺ヶ岳に登ったのだ。スキー場とはまったく異なった趣で日帰りにうってつけの山だった。